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仕事につながらない話 _ノ乙(、ン、)_

固定ページが使えるようになったので、サイトの縮小移転先にしました。 ただし、更新頻度の低さは変わりません。

全く以て仕事に繋がらない話

 ご無沙汰しております。
 ここ数年、自分が何をやっているのか、何をしたのか、ほとんど記憶に残っていない状態の私ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 なんの面白味のない自分語りのうえ長文ですが、よろしければおつき合いください。

※デリケートな話題を含むため、文章内に、フェイクとは言わないまでも暈かしている部分があります。ご了承ください。



 さて、私事のうえに昨年の話ではありますが、親戚の弔いに一区切りがつきました。
 子供の頃から縁の深い方でして、今際の際には逢えずとも、死出の旅に向かわれる折に立ち会えたことは幸いです。不幸話に『幸い』というのも気が引けるのですが。
 明確な余命宣告などはなかったそうですが、緩和ケアを要する治療を行う、そういった類の病気でした。
 病名が判明してから、ご本人はいわゆる『終活』を積極的に行っていらしたそうで、遺影もご本人が選んだものでした。
 服装こそ異なるものの、一昨年偶然お目にかかった、元気なときのお顔、お姿そのものです。
 闘病中の写真であることを忘れさせるほどの、安らかないい笑顔。
 遺影を見るたびに、在りし日の笑顔が、お声が思い出されて、目頭が熱くなりました。
 弔いには、私の親も参列しました。両親ともにご本人と縁が深いこともあり、両親の胸中も穏やかではない様子でした。
 ご本人の病状から、そう遠くない時期に「その日」がやって来ることは誰もが覚悟していたのですが、やはりその段となると胸中は複雑でした。
 しかしながら、俗世に残ったものは、故人を偲びつつも前へと進んでいかなければならないのです。

 そして改めて、自分の親にもいつか「その日」が訪れることに思い至ってしまうのです。
 幸い、経過観察の扱いにはなっていますが、父も母も、地元地域ではそれなりに大きな病院へ定期的に検査のために通っています。
 今のところ、急速な病状の悪化などは想定されてはいません。しかし、両親ともに何があってもそれほど不思議のない年齢に達しています。
 私の親の年齢は、私の同年代の方々に比べると高いのです。
 病は遠ざけていても、両親に何らかの介添えが必要になる日が間もなくやって来るでしょう。
 ですが、こういった事柄は、誰にでもあることです。自分の身の回りが特別なわけではありません。

 「時間が比較的自由に使える」という利点に思い至り、現職、現環境を選択した私ではありますが、不景気の今となってはそう言ってもいられなくなりました。
 今後どうなるのか、どうするのが最適解なのか、終着点は見えていません。
 仕事名義で公開しているブログで、こういった話題を扱うのはあまり適切ではないでしょう。
 とはいえ、表題通りのブログですので、偶の自分語りはご容赦ください。

 非更新ブログ用の広告回避、および安否確認ついでのたわごととして聞き流していただければ幸いです。

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